ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、東京・・・・様々な都市で『反格差』デモが実施されている。
近年、ツイッターやフェースブックなどユーザ参加型コンテンツの影響で、民主化運動が様々なところで行われているが、先進国でもこれだけ行われているのはやはり驚きだ。
そもそも、人間には差があるのだろうか?
あるにはある気もするし、基本的にはあってはならない気もする。多少の差ならいいのであろうか?
逆の場合はどうであろうか?全く世間のお荷物的な人が平均年収を取得していた場合は、いいのであろうか?やはりデモが起きるのであろうか?
以前よりも格段に一般市民が「社会に発言できる」ようになった現代。そして、以前よりも格段に一般市民が「情報を入手し」やすくなった現代。民主化が進むのは当然の社会構造だ。
民主化は長期的に見れば良いことであるし、また実現されなければならないことであろう。しかし、民主化の危険なことは、ロクに教育をうけていない、知識の少ない人も、発言の機会が得られてしまうことだ。また、これにより、政治が非常に複雑化してくることだ。
つまり、民主化の推進はそれだけでは片手落ちであり、必ず「教育推進・改革」が伴っていなければならない。民、一人ひとりが、自立できるようになることが重要なのだ。そして、そういったことができるようサポートする国のシステムが必要なのだ。
格差の問題を上を下げて解決するか、下を上げて解決するか。
これは、双方が必要であり、デモは前者を改善するよう要求しているに過ぎない。政治がリーダーシップを発揮し、上の開きを改善するも、下の開きも改善するよう、民に訴えていかなければならないと感じる。
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